風待月。

気ままな物書きの日記。

泣きじゃくった日。

今日はこれでもか、というくらい泣きじゃくった。

突然不安になったのも、私の抱える病が生じてか、それとも偶々今日がそういう気分の日だったかはさておき、泣いた。

今泣きすぎて目が痛い。自業自得だがよしよしされたい。

 

このご時世、人に触れるのも会いに行くのも躊躇う時期だ。気にしない人もいるのだろうけど、少なくとも恋人や友人に感染されると困るので私も大人しくしている。しかし、心の中では「こんちくしょう」という気持ちが消えない。それが大きな波になって、よしよしされたいようなどと大の大人が泣き喚いた。私である。

 

こんなことを赤裸々に語るのもお恥ずかしいが、泣き虫には泣き虫なりのスイッチが存在する。泣きたい時、そうでもないが疼く時、泣き喚いて人を困らせたい時、一人密やかに泣きたい時、様々である。(泣き喚いては一喝される未来が見える)

 

人は泣ける生き物だ。否、他の生き物の事を知らないから何とも言えないが、多分涙を流せるのも笑えるのも人間の特権だろうと思う。少なくとも、今はそれを有効活用する時なのだ。

未来の私が幸せである為に流した涙なんだと思えば、今日流した涙も別に無駄ではない(と、思いたい)

 

 

それと、私は最近本が読めないでいる、元々本好きだったにも関わらず活字を落ち着いて読めなくなってしまったのだ。原因はわかってない(というか探していない)が、今日、本屋で何となくぶらぶらしているときに気付いた事があった。

本の題名、見出し、広告文や宣伝文に心が躍らないのは、私が他者を信用していない所為ではないかと。それに気付いて、気付けば家に帰って泣いていた。

世の中、気付きたくないことで溢れている。

それに直面した時、人間の心は案外脆く崩れる。

小説家になりたい私が本を読めない時点で致命的だが、それよりショックだった今日の日のことは、しばらく私の中で大事な課題になるに違いない。

 

明日は笑えますように。では。