プラネタリウムと竜とそばかすの姫
ついこの間、恋人と共に銀河鉄道を題材としたプラネタリウムと、細田守監督の「竜とそばかすの姫」を観に行った。
どちらも私の期待以上のものだった。
プラネタリウムに関しては、皆さんも一度は体験したことがあるだろうあの空間で、その日の日没から浮かぶ星の紹介、そしてkagayaさん主催の「銀河鉄道の夜」を見た。銀河鉄道の夜は、皆さんも知っている宮沢賢治先生の作品で、未完のまま終えたといわれている名作だ。
音楽と映像を見事に操り、最大限の銀河鉄道を表現していて、私まであの世界の中に飛び込んだような気分だった。ネタバレは避けるが、とにかく星や銀河鉄道の夜が好きな人には是非見て欲しい。
続いて「竜とそばかすの姫」は、これは細田守監督もテレビで仰っていた通り、現代の美女と野獣だ。Uと呼ばれるネットの中で繰り広げられる二人の恋物語と、主人公の少女の歌声は痺れるほど心地よいものだった。
ネタバレはしませんが、こちらも美女と野獣が好きな人や細田守監督の作品が好きな人は是非見て欲しい。恋人がすぐ隣にいたので出来なかったが、プラネタリウムも映画も泣きそうだった。涙がぶわ、と出てくる感覚は久しぶりだった。映画で涙するのもかなり久々で、プラネタリウムに関しては人生で二度目だったからまさか泣くとは思わなかった。
更新を怠っていたのも、その感動にかなり痺れていたので…。
二日間の恋人とのデートもかなり楽しかった、久々のデートだった。また、このコロナ騒ぎが収まったら行きたい。これを読んでいるだろう君とね。
ではでは。
痛いくらいがいいんだって知った。
某歌詞をタイトルにする、それが私。
病んでるわけじゃないんですよ、病んでるけど。こう、溜め込むことが出来ないんです、私って。
今も某コーヒーチェーン店に来てますけど、周りのあまり歳が変わらなさそうな子達が仕事してたり勉強してたりするのを見て、ああキラキラしてるなあと。眩しいんですよね、やりたいこと、やりたくない事に限らず何かに打ち込める子って。勉強だけじゃないです、遊びでも趣味でも、打ち込めることって素敵な事だった。それに気づくのが遅過ぎて、何もかもを置いてきてしまった私にはどうしようもないけれど。
本を沢山読むことにしてるんです。昨夜は有川浩さんの「フリーター、家を買う。」を読みました。今の自分と重ねてしまうのは致し方ないと思ってても、やっぱり辛いというか、あの本の主人公と同い年なんですよね、私。だから余計に、うげっと来たというか。
本や歌に刺激されて感傷に浸る心が痛みに震えてるくらいが、私にはちょうど良いようにも思えます。今日も死ねなかったな、なんてベッドの上で目が覚めた時に繰り返し思うより、ずっと素敵な痛みなのかもしれません。
では、また。
泣きたいくらいの想いと幸せと。
本当に泣きたい時って涙が出てこない。それに気付かされた機会だった。
理性を一瞬失って、怒りに包み込まれかけた。間一髪のところで止められたが、それでもやっぱり自分の中にある感情の豊富さには驚かされる。
この一週間も色濃かった。
恋人とのデートの予定が決まり、予約なんかも済ませて残すところあと準備だけなのだが、何から手をつけようかと非常に悩んでしまう。服は買ったが、他にも可愛い服を見るとついつい手が伸びそうになる。困った。
かなり楽しみ、久々の遠出でもあるし、恋人とのプラネタリウムデート。ロマンチック。何事もなく、無事に当日を迎えられますように。
そういえば話は変わって、最近は酒村ゆっけさんの動画ばかり見ています。面白い文章とおいしそうな酒、食べ物と食欲がそそられて困る。センスの塊だなあ、とほぼ全部見た気がするしエッセイ本も読んだ。大好きです。
こういうささやかな幸せを大切にしながら生きよう。
では。
問題、ないや。
眠い。眠いが過ぎる。
しかし恋人が大変なのでは、と思うと目が覚めるのは早かった。同時に心臓を冷たい手で握りしめられたような感覚がして、頭の芯まで冷えて半ば無理矢理覚醒した心地で安否を確認した。……無事だった、よかった。
そんな朝、二度寝が出来ずにぶらぶらと行きつけのカフェにやってきた。朝ご飯。アイスコーヒーとホットドッグ。いい匂い。
最近は色んなものに振り回される。そんな中、良かったと思うのは恋人とのデートに漕ぎ着けたことくらい。今から予定を立てるのが楽しみ。大体行先は決まってるが、詳しいことはまだ埋めきれていない。これから埋めていくのである、楽しみ。
……おや、愛くるしい恋人が何かを呟いている。見に行こう。
世界からの孤立。
毎日ころころと気分が変わる。
今日は小説を読もう、今日はさらに書いてみよう、…今日は何もしたくない。
そんな風にころころと変わる、それが元からの性格か、それとも病故かはわからないが、最近の私はそんな感じ。
ふと周りを見ても誰も居なくて、皆がいるのに心細い。
欲しいものを得て居る筈なのに遠くに感じるこの感覚が、ずっと離れずにいる。
小説だってそうだ、書ける時間を手に入れたのにどこかで焦りを感じているし、相変わらず本が読めない日もある。
誰かに助けて欲しくて手を伸ばしても、肝心な声が出ないのだ。届く訳もない。
誰かに気付いてほしい、と、思ってこのブログも始めたようなものだ。私はそんな人間、所詮は気付いてほしいうちの一人、手が届かない幸せに齧りつきたくて必死。みんなもそんな風に生きているのだろうか、もしそうなら、少し救われる。
お気に入りの服を着てお気に入りのバッグを持って出かけることが出来なくなった今、気に入りの服を着て、楽な場所で息を潜めることが幸せ。
最近はさくらももこさんの本ばかり読んでいる、訃報を聞いた時にはかなり衝撃を受けた。学生の頃、さくら先生のエッセイをほぼ読んだ。彼女の綴る文章はギャグ満載で読み易くて好きだった。暗い学生生活の中の一つの楽しみだった。思えばその頃から本を読むのは好きだった、何処にも行けないことに絶望を感じていた中で、本だけは無限に色んな世界へと旅立たせてくれる。それが楽しかった。
しかし若かったあの頃と比べると、多少感覚が異なる。
今さくら先生の本も読んでいるが、やはり学生時代と感覚が違う。それもまた、物語を読む際の楽しみというものだろう。
自分を休める機会に、ゆっくり本の旅をしてみよう。
大切な時間。
責任を肩から下ろし、自由になった今私は執筆や読書に励んでいる。
というより、いつからか活字を読むことが苦手になったから、そのリハビリだ。
本が大好きなのに、小説家志望なのにと一時は落ち込んでいたが、なんやかんやとあった後に少し自分について考える時間が出来た。
もしかしたら、あの出来事がなかったら私はこうやってまた、…少しずつではあるけど本を読むことが出来なかったかもしれない。と、思う。
何故こういう状況で変に前向きになれるんだろう、人間とは不思議な生き物だ。
今は、恋人から教えてもらったエイブラハムの「引き寄せの法則」と、辻村深月先生の「琥珀の夏」を読んでいる。何方も楽しみにしていた本だ。
この本たちを読みながら、ゆっくり考えよう。
これからいい事があるはず、大切な人たちの倖せもちゃんと叶う。
今は、ゆっくり、大切な人たちの為に生きよう。
夢を叶えて、みんなで幸せになれますように。
はっぴーばーすでー。
悲しみと幸せの狭間。
濡れた朝露が強い日差しに照らされて包み込まれていくような感覚。
今日は私の生まれて二十四回目の誕生日だ。
祝ってくれる恋人や友人、家族…のような人、何人かから祝福を受けた。
愛して止まない、それと同時に憎み恨んできたこの日を祝ってもらうというのは違和感があるが、それでも祝われると嬉しくて、「生きていてよかった」と思えた。
人生の分岐点、と呼ぶには大きすぎるが無視できない現状に荒んだ心が揺れる。
いつたどり着けるのかと、延々と回り続ける観覧車の中で変わるのは景色ばかり。
この歳まで生きてきてもやっぱり、私は生きていてよかったのかと迷う日はこれからもやってくるだろう。何度も何度も、繰り返して強くなれるのだろう。きっと。
眠れないまま夜を明かす孤独感があの人たちにもあるのだろうか。
底知れない恐怖は、人間ならば当然持っている感情だろうけれど、あの人たちはそれが今一番強いのかもしれない。
その恐怖と戦っている彼らを救うために今、こうやって私が辿ってきた道が救済に繋がれば良いよ。私はそれが一番幸せだ。みんなの幸せを出来れば一番近くで見て居たい。幸せになっていくのを見届けた後に、少し休めたら、と、今はそれだけを願ってる。
深い悲しみの中の幸せ、大切な人たちから貰った贈り物は一生大切にしていよう。
皆がくれた優しさを返せるような人に、今からでもなっていけると信じて。
そして私もいつか、大切な人の隣で幸せを共に紡いでいけますように。